道奉行(みちぶぎょう)は、江戸幕府や諸藩における職名の1つ。
江戸幕府
役扶持は60人扶持で、江戸府内の道路・水道を掌り、若年寄の支配を受けた。江戸城中の席次は躑躅之間敷居之外であった。御目見以上、布衣以上。定員は当初2名、のちに4名となり、再設置後は再び2名となる。
創設は万治2年(1659年)で、4名が任命された。同年11月には普請奉行とともに近郊農村宅地化の管理を命じられる。この時は新番と大番からの出役であった。
元禄6年(1693年)には、それまで町奉行の管轄であった玉川上水、神田上水を支配。それに伴って新規に同心が付属し、上水奉行とも呼ばれるようになった。正徳2年(1712年)には与力2騎、同心10人が配属されていた。同心には切米30俵2人扶持が支給され、目白台に組屋敷があった。
享保5年(1720年)8月に廃止されたが、10月に再び2名が任命された。再設置後は、両番(小姓組番・書院番)からの出役となり、就任年数も2年が原則となる。元文4年(1739年)には上水管理の役務を町奉行に返還。明和5年(1768年)には再度廃止され、道奉行が掌っていた役務は普請奉行の所管となり、江戸の水道は普請奉行の支配となった。
脚注
参考文献
- 大石学『江戸幕府大事典』吉川弘文館 ISBN 978-4-642-01452-6
- 川口謙二、池田孝、池田政弘『江戸時代奉行職事典』東京美術選書 ISBN 4-8087-0139-1
- 吉原健一郎『江戸の町役人』吉川弘文館 ISBN 978-4-642-06306-7
- 『江戸学事典』 弘文堂 ISBN 4-335-25053-3




