赤岩駅(あかいわえき)は、かつて福島県福島市大笹生字赤岩にあった、東日本旅客鉄道(JR東日本)奥羽本線の駅(廃駅)である。「山形線」の愛称区間内に存在した。2016年(平成28年)12月1日以降全列車が通過しており、2021年(令和3年)3月12日限りで廃止された。

歴史

  • 1899年(明治32年)5月15日:逓信省奥羽南線福島 - 米沢間開通時に赤岩信号場として開設。
  • 1909年(明治42年)6月12日:信号場構内で煙害による列車脱線転覆事故発生(後に米沢駅構内に慰霊碑建立)。
  • 1910年(明治43年)
    • 8月11日:信号所より福島方向の7号トンネルが、大雨の影響で一部崩落する。
    • 8月19日:崩落した7号トンネルの福島方へ東赤岩仮乗降場を設置。東赤岩(仮) - 赤岩(信)間は徒歩連絡となる。
    • 10月13日:徒歩連絡の旅客のため赤岩信号場を赤岩駅とし、旅客の取り扱いを開始。
  • 1911年(明治44年)9月5日:崩落トンネルを迂回する新ルートが完成し復旧する。東赤岩仮乗降場廃止。
  • 1958年(昭和33年)3月:駅舎改築。
  • 1947年(昭和22年)8月17日:赤岩駅にお召し列車が停車(昭和天皇の戦後巡幸)。大勢の住民等が昭和天皇の姿を見ようとホームに殺到した。
  • 1984年(昭和59年)12月1日:無人駅化。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
  • 1990年(平成2年)3月10日:山形新幹線運行に当たり標準軌化工事実施。スイッチバック廃止。現在地に移転。
  • 2012年(平成24年)12月1日:同年より、12月1日 - 翌年3月25日まで全列車通過となる。
    • 「冬季に周辺住民のご利用実績がないことから」の措置であった。
  • 2017年(平成29年)3月4日:同日ダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止。
    • ダイヤ改正時点で冬季休業中であり、前年の2016年(平成28年)11月30日が最後の営業日となった。
  • 2021年(令和3年)
    • 1月20日:駅廃止を発表、同時に駅構内を立入禁止とする。
    • 3月12日:同日限りで廃止。
      • 理由としては、「今後の利用客増が見込めない」ことや、「変電設備等の点検のために駅施設を存置していたが、点検方法が変わったために駅の必要性が無くなったため」が挙げられている。

駅構造

地上駅。山形新幹線開通に伴う改軌以前は、当駅の他板谷、峠、大沢の4駅連続のスイッチバック駅の一つであったが、改軌後は、他駅同様スイッチバックが撤去され、本線上に、島式ホーム1面2線の構造で移設され、ホームへは庭坂寄りの構内踏切を利用していた。無人駅。

なお他の3駅と異なり、当駅には分岐器部分のスノーシェルターはスイッチバックの現役当時から設置されなかった。

のりば

※営業当時のもの。案内上の番線番号は最後まで割り当てられなかった。

(出典:JR東日本:駅構内図 - 2021年3月12日のアーカイブ)

利用状況

2004年度の1日平均乗車人員は0人であった。

駅周辺

以前は駅の直下を流れる松川に沿って赤岩、人道橋を渡った対岸にイラ窪(伊良窪)の集落が存在していた。しかしあまりにも山深い地であり、1980年代の半ばには相次いで無人となった。有人駅だった当時には、プラットホーム北側にある植林地に、鉄道関係者用の住宅も見られた。しかしこれも無人駅化時に廃止され、解体された。

また以前には、隣接してスイッチバック時代の遺構が良く残っていた。しかし当駅周辺が板谷峠越えの急勾配地である事から、その対策として一部を壊し、電圧安定のための変電所が設置された。

駅の利用者以外の姿はこの地で殆ど見られず、鉄道関係の施設以外には、古い集落の跡だけが周辺唯一の人工物となっている。駅から徒歩30分ほどの所に大平集落があるが、数世帯しか住んでおらず限界集落と化している。

その他の特徴

奥羽本線福島 - 米沢間に存在する各駅は、峠駅を除いて米沢街道の宿場町に接する形で作られた。当駅も、以前街道に存在していた李平(すももだいら)宿との連絡が可能な場所に設置されている。トンネル崩落と言う事故対応に伴い駅となった。修復後に再び信号所へと降格されなかった理由の一つとして、当時は周辺にこの集落が存在していたと言うことが挙げられる。しかし、米沢街道は難路としても知られていたため、奥羽本線の開通を含む交通体系の変化の影響を受け、早くから衰退を強めることとなった。「散歩コース、駅構内から松川を越えて旧米沢街道まで一時間」と記述された資料も存在するが、李平宿は大正時代には廃村となっており、駅と宿場町との連絡道も自然に還りつつある。松川を渡る橋も現存しない。

この様に近在する宿場町を失い、駅名の元となった赤岩集落や隣接するイラ窪集落等が全て無住となった後、大平地区のみ当駅の利用者を擁する唯一の集落となっていた。しかし大平地区もまた他集落との交通手段に乏しく激しい過疎状態にあるため、年々利用者減少が続いていた。駅と大平地区との連絡も林道に限られており、徒歩で辿り着くのは片道で30分程を要し、容易では無い。乗用車等での通行も可能ではあるが、急カーブ、幅員狭小、路面荒れの酷さ等のため、通行にはかなりの困難が伴う。

その他にもいくつか、かつての集落間を連絡する道跡が存在する。また冬季には積雪に伴い林道通行が事実上不可能となり、外界との連絡手段は殆ど無くなる。

隣の駅

東日本旅客鉄道(JR東日本)
■山形線(奥羽本線)
庭坂駅 - 赤岩駅 - 板谷駅

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 日本の鉄道駅一覧

外部リンク

  • 駅の情報(赤岩駅):JR東日本 - ウェイバックマシン(2021年3月11日アーカイブ分)
  • 廃線レポート 奥羽本線旧線 赤岩地区

ギャラリー 東北の秘境駅をめぐる旅東北の秘境駅をめぐる旅

さよなら赤岩駅緊急展示室

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旧赤岩駅への道を走ってみた。 YouTube

駅舎随録 赤岩駅